2016年12月2日

帰国して国籍取得<フィリピン残留日本人2世>引き裂かれた戦後71年

帰国して国籍取得<フィリピン残留日本人2世>引き裂かれた戦後71年

戦前にフィリピンに渡った日本人の父親とフィリピン人の母親から生まれ、無国籍となっていた「フィリピン残留日本人2世」3人が日本に帰国し、日本国籍を得ました。

 日本財団によると、戦前戦中に約3万人の日本人がフィリピンにわたり、現地の女性と結婚して家族をつくった。だが戦死や強制送還で離ればなれとなり、多くの子供たちが戦争で反日感情が高まったフィリピンに残された。今もなお約1200人が日本国籍の取得を求めているという。


ヤフーニュースより
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161202-00000012-mai-soci

<フィリピン残留日本人2世>引き裂かれた戦後71年

毎日新聞12/2(金) 8:50配信

◇父の故郷、沖縄の土踏む

 戦前にフィリピンに渡った沖縄県出身の父親とフィリピン人の母親の間に生まれた「フィリピン残留日本人2世」のきょうだい3人が1日、初めて帰国し、那覇空港で親族と対面した。3人は長く無国籍状態だったが、戦後71年の今年9月に日本で新たに戸籍をつくる「就籍」を那覇家裁に申し立て、父親の写真など手がかりがそろっていたためにわずか1カ月で許可された。3人は滞在中、父親の墓参りなどを予定している。【佐藤敬一】



 初来日したのは、糸満市出身の父親、冨里樽二(ふさと・たるじ)さん(1990年死去)の▽三女、冨里・サロメ・フミコさん(78)▽三男、冨里・ハイメさん(76)▽五女、冨里・カリダッド・カズコさん(71)。

 那覇空港では、親族などが「ようこそ沖縄へ 冨里ファミリー様」などと記した横断幕を広げて出迎え、3人は初対面となる義妹の嘉味田(かみた)光子さん(67)と涙を流しながら抱き合った。フミコさんは「父親に会えなかったのは残念だが、たくさんの親族と会えてうれしい」と話した。

 残留日本人を支援している日本財団によると、父親の樽二さんは18年にフィリピンに渡り、漁業に携わった。10年後、現地の女性と結婚して3男5女をもうけ、女児にだけフィリピン名と日本名をつけた。

 戦時中、樽二さんは日本軍の通訳となって家族と離ればなれとなった後、米軍の捕虜となって日本へ強制送還された。残されたきょうだいは、幼いころから母親の仕事を手伝い、教育も不十分だったためさまざまな職を転々とするなど苦労を重ねたが、自分たちは「日本人の子供」と思って生きてきたという。

 その後、きょうだいは沖縄で働いていた親戚に樽二さんの行方を捜すよう依頼。56年に樽二さんから長女=カナダ在住=に「会いにいきたい」などと書かれた手紙と自身の写真が届いた。この写真や残された両親の婚姻記録などが「就籍」の決め手となったという。


 日本財団によると、戦前戦中に約3万人の日本人がフィリピンにわたり、現地の女性と結婚して家族をつくった。だが戦死や強制送還で離ればなれとなり、多くの子供たちが戦争で反日感情が高まったフィリピンに残された。今もなお約1200人が日本国籍の取得を求めているという。

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